festina lente
─モラリスト
「人間の価値を量る確かな基準など何もないのです。人間の本性は全く人を混乱させるものを持っているのですから。既に、 僕の見るところでも、 立派な父親の息子にも取るに足らぬものがおり、悪い親から良い子供が生まれ,裕福な男の心に貧しさが、貧しい男の肉体に偉大な心が宿っています」。
エウリピデス『エレクトラ』
 一九九〇年代後半から、知事に対して注目が寄せられている。しかし、それはかつての革新知事をめぐる状況とは異なっている。新しく当選した知事たちは、無党派や脱政党と結びつけられて扱われているように、従来の政治に関する認識では把握し難い支持層を背景に、全員ではないけれども、画期的な政策を掲げている。彼らは長年に渡って地方を支配してきた政治的・経済的体制の変化の兆しとして見られている。
中でも、
おじさんやおばさんの言論的特性は、物事を単純にわりきって断定したがることだ。「人間が生きていくためにはきびしさが必要だ」とか、「どの世界にもいじめはある」とか。さすがに今では、「男は女を征服したがるものだ」とか、「金さえあれば幸福を買える」とかは口に出さないが、心の底では考えていないでもない。
これはいくらか仕方のないことで、中年は社会の中心であるだけに、いろいろややこしいことが多くて、物事を単純化したほうが生きやすい。それに、その価値観が社会の「常識」になることで、社会の安定を支えてもいる。
本来なら、おじいさんやおばあさんは、いくつもの時代を眺めてきたゆとりから、「ものごとはそう単純にわりきれるものでもないよ」と悟ったようなことを言い、若者はことの成否はともかく、「常識」から外れたことを試みたりするものだ。そのバランスで世のなかは動いていく。このごろの困った傾向は、おじいさんやおばあさんがいつまでもおじさんやおばさんの気分から抜けきれず、若者がまた、早いうちからおじさんやおばさんになりがちで、そのバランスがうまくいっていないこと。それには、社会の不安の気分から一億層中硫化して安定幻想を求めていることがあろうか、時代の変化する時に適した対応とは思えない。
社会の中心であるだけに、責任を言うなら中年層であって、さっぱりゆとりのない中年から、「ゆとり」を説教されても白けるだろう。むしろ中年にこそゆとりが必要であって、若者たちを含めて多様な価値を受けいれる「しなやかさ」が中年の器量というもの。しかし、時代がそちらに動いていることは中年にも気づかれていて、長野県知事と県庁や議会との一件は、「しなやかさ」と「おじさん社会」との文化的衝突として時代を象徴している。
協調性とか仲間意識とかへの期待は過剰にすぎる。仲間というのは、いつでも、外を排除し内を抑圧するという性格を持っている。それを心得た上で、おじさん社会ともつきあえるのが「しなやかさ」というものだろう。
二〇〇〇年十月二十六日に就任して以来、
田中知事と違い、都庁や都議会との良好な関係を維持し続けている石原慎太郎東京都知事には、しばしば、現代の閉塞した状況を何とかしてくれる政治家と期待する声もある。しかし、それこそが「おじさん社会」の最も顕著な例である。「おじさん」という点で、石原知事は申し分のなさを見せつけている。彼は、『週刊女性』二〇〇一年十一月六日号のインタビューで、東大大学院教授の言葉を引用し「文明がもたらした、もっとも悪しき有害なものは、ババアなんだそうだ」と発言している。この件に限らず、石原知事は「物事を単純にわりきって断定したがる」。しかも、一九三二年の生まれを考慮すれば、「いつまでもおじさんやおばさんの気分」から抜けきれない彼の態度は「困った傾向」そのものである。閉塞した状況は「おじさん社会」の結果であって、それを「おじさん」が変えるというのは無理というものだ。「二十世紀が目標達成型の社会だったのに対し、二十一世紀は状況感応型社会に移行していくと思う。(略)何が起こるかわからないということは、新しい物語が生まれやすいことであって、楽しみなことだ。半世紀後に、今の若者が彼の生きた半世紀を、新しい物語として語れることが、何よりだと思っている」(『みんなおじさん化』)。こうした「状況感応型社会」へ向かう時代に、石原知事への期待は、必ずしも、適当ではない。「地域や家庭の職場の絆に道徳を求めがちだが、二十一世紀は都市化の時代で、そうした絆が薄れていくことが予測される。絆を道徳の回復で再構築することは期待できない。帰属性を強めて堅い絆に守られるのが二十世紀のモラルなら、絆の薄れのなかでの生き方が二十一世紀のモラルになるだろう。それはまだない。だからこそ、二十一世紀を向けての道徳教育が必要ともいえるけど」(森毅『二十一世紀のモラル』)。
不信任案可決という事態に至ったのは、田中知事の主張に反して、彼自身が「しなやかさ」を持っていなかったせいではない。確かに、「しなやかさ」は「常識」にとらわれないことではないとしても、滋賀県豊郷町の大野和三郎町長と違って裁判所の命令を無視したことがない通り、何が何でも自分の信念を押し通すほど田中知事が頑固には見えない。肩を持つわけではないが、彼は、実際、二〇〇二年九月一日、前回を上回る得票で再選され、県議会の決定の方を長野県の有権者は斥けている。両者の間に摩擦が続いたのは、県庁や県議会に「おじいさんやおばあさん」が欠けていたからである。変化の乏しい県政が続き、「いくつもの時代を眺めてきたゆとり」が県庁や県議会の中に育まれなかったのだ。教育県を自認するのであれば、彼らに「二十一世紀を向けての道徳教育が必要」であろう。
「しなやかさ」は「若者」ではなく、むしろ、「ものごとはそう単純にわりきれるものでもないよ」と言う「おじいさんやおばあさん」が体現している。年金制度を危うくするという理由で、田中知事も『なんとなく、クリスタル』で触れていた少子高齢化が問題視されている。けれども、高齢者の人口比率が増えていながら、「みんなおじさん化」している方が危険である。日本の年金制度はオットー・フォン・ビスマルクが労働者を対象に実施した労使拠出制の社会保険方式の系譜上にあり、それは国民国家体制を支えるのが目的であって、その体制が崩壊していく以上、無効になっていくのは歴史の流れである。国民国家はピラミッド型の人口統計に基づき、学校と軍隊を通じて、「国民」を生産する。戦争は若者に属するのであり、若年層の減少が続けば、軍隊を維持できない。けれども、極端な出生率の高さは食料を不足させる。国民国家はすべてを統制しなければ成り立たないのであって、破綻を迎えるのは時間の問題である。そういった社会の大きな変わり目には「おじいさんやおばあさん」の「しなやかさ」が有効だろう。「年をとるのも芸のうちだ、そう思わないか」(パブロ・カザルス)。
こうした態度は、歴史的に、モラリストに見られるものだ。モラリストの言動は青臭いと言うよりも、老獪である。彼らは走るのではなく、歩くように考える。涼やかに人生を楽しむ姿が浮かぶモラリストから原理主義ほど遠いものはない。「モラリストとは人生の芸の達人である。規範にしなくとも、芸は学べる」(森毅『規範より人生の芸学べる』)。「人生の芸の達人」はいかなることでも、たとえ嫌なことであっても、楽しみを見つけられる。「とくにこれからの時代、今までに決めておいたことと違うことが出てくる可能性が高い。それを楽しむことにするか、いやだと避けるか。さまざまな苦労をのりこえて進むといった人生処世訓はぼくの性に合わぬ。ちょっと身を引いて、ぼくの物語を楽しむ材料にいやなことで味をつけよう、その程度である」(森毅『いやなことの楽しみ方』)。
Well, I'm
running down the road 
Tryin' to
loosen my load 
I've got seven
women on my mind, 
Four that wanna own me, 
Two that wanna stone me, 
One says she's a
friend of mine 
Take It easy,
take it easy 
Don't let the
sound of your own wheels
Drive you crazy 
Lighten up while
you still can 
Don't even try
to understand 
Just find a
place to make your stand 
And take it easy
Well, I'm a
standing on a corner in 
Such a fine
sight to see 
It's a girl, my
Lord, in a flatbed 
Ford slowin' down to take a look at me 
Come on, baby,
don't say maybe 
I gotta know if your sweet love is gonna
save me 
We may lose and
we may win
Though we will
never be here again 
So open up, I'm climbin' in, 
So take it easy.
Well I'm running
down the road
Trying to loosen
my load,
Got a world of
trouble on my mind 
Looking for a
lover who won't blow my cover, 
She's so hard to
find.
Take it easy,
take it easy 
Don't let the
sound of your own wheels
Make you crazy 
cCme on
baby, 
Don't say maybe 
I gotta know if your sweet love is gonna
save me,
Oh oh oh 
Oh we got it
easy 
We oughta take it easy.
(The Eagles “Take It
Easy”)
モラリストという思索のスタイルの原型となったのはミシェル・ド・モンテーニュである。「モンテーニュは老いを愚弄することも称賛することも拒む」のであり、「彼は自分が衰えたと感じるその瞬間において、最も偉大」なのであって、「彼が進歩しているのは世界と自分自身に対する態度がますます批判的となったからである」(シモーヌ・ド・ボーヴォワール『老い』)。
モンテーニュは「ちょっと身を引いて、ぼくの物語を楽しむ材料にいやなことで味をつけよう」としている。彼は、『エセー』の中で、「われわれ人間の意見の最も普遍の性質は多種多様ということである」と書いている通り、さまざまな思想が乱立する時代において、「しなやか」に思想の相対性を指摘し、懐疑的な立場に立ちながら、内省的な態度で「人間の本性(le propre de l'homme: human nature)」を吟味する。彼は「人間」を定義しない。定義は単純化にすぎないからだ。モンテーニュの人間は空間である。空間は、森毅の『魔術から数学へ』によると、「広義には、図形をのせている『ひろがり』、いわば図形が活躍することのできる舞台のことを言う」。彼が「人間」について語るとき、そこに思考が「活躍することのできる舞台」が登場する。
Looking
out
Across
the night-time
The
city winks a sleepless eye
Hear
her voice
Shake
my window
Sweet
seducing sighs
Get
me out
Into
the night-time
Four
walls won’t hold me tonight
If
this town
Is
just an apple
Then
let me take a bite
If
they say-
Why,
why, tell ‘em that is human nature
Why,
why, does he do me that way
If
they say-
Why,
why, tell ‘em that is human nature
Why,
why, does he do me that way
Reaching
out
To
touch a stranger
Electric
eyes are ev’rywhere
See
that girl
She
knows I’m watching
She
likes the way I stare
If
they say-
Why,
why, tell ‘em that is human nature
Why,
why, does he do me that way
If
they say-
Why,
why, tell ‘em that is human nature
Why,
why, does he do me that way
I
like livin’ this way
I
like lovin’ this way
Looking
out
Across
the morning
The
city’s heart begins to beat
Reaching
out
I
touch her shoulder
I’m
dreaming of the street
If
they say-
Why,
why, tell ‘em that is human nature
Why,
why, does he do me that way
If
they say-
Why,
why, tell ‘em that is human nature
Why,
why, does he do me that way
I
like livin’ this way
(Michel Jackson “Human
Nature”)
 モンテーニュは、まず、「私は何を知っているのか?(Que 
モンテーニュはエチュードのようなエッセーのスタイルを選んでいる。エッセーは物語性のない告白であって、知的であり、主観性が強いと同時に、道徳的である。グーテンベルク革命により、作者と読者の共犯関係を可能にする共通基盤が出現し、「道徳は、社会に向かってより、なによりも自分自身に向かって存在する」(森毅『二十一世紀の歩き方』)。エッセーの原型は、すでにキケロやセネカ、プルタルコス、マルクス=アウレリウス・アントニヌスなど古代ローマの思想家の著作にも見られるが、本格的に発展したのはルネサンス期である。これは、ルネサンスに、個人を強調し、外界との関係における個人の内面の探索を促したからだけでなく、活版印刷機の発達に伴い、ジャーナリズムと近代的な読者層が登場したからである。こうした時代的・社会的背景が新たなモラルを語るために、エッセーに脚光を浴びさせる。なるほど、神学・法学・医学を論じる場合には、ペダンティックな知識とアカデミックな手続きが必要だろう。しかし、モラルに関して、それが要るわけではない。と言うのも、いかなるバックグラウンドを持っていたとしても、人が生きていく限り、モラルは不可欠だからである。モラルの質は知識や教養の量によって判断されるわけではない。もしそうなら、貧弱な知識や教養しか持たないイエスはパリサイ人よりも劣ったモラルを信じていたことになる。時として、論理が飛躍することもあって、読者は作者を配慮しなければならないけれども、この関係がモラルとして形成される。「真理と理性はおのおのの人間に共通」であるが、それは読者と作者の共犯関係なくしてありえない。モンテーニュはエッセーという形式を用いていることで、このモラルを読者と共有する。
 巧みな修辞法に基づいた彼の意表をつく論理の組み立ては、アカデミックな論理に馴染んだ者には、突拍子もないわけではないが、いささか大胆不敵に映る。そうした論理構成が示している通り、彼のモラルは禁欲的快楽主義とでも呼ぶべきものである。「理性に従った享楽は禁欲よりも辛い。あるものを節制する方が, 無いのを我慢するよりもずっと辛い徳である」(『エセー』)。
モンテーニュ以後、エッセーの形態は変化し、多様化していく。十八世紀に入ると、特に、イギリスでエッセーがジャーナリズムにのって流行したが、この頃、エッセーの作者が偽名を使って他の人物を装ったり、匿名にして正体を隠したりすることが一般化する。ジョナサン・スウィフトは、『ドレーピアの書簡』(一七二四─二五)を匿名で書き、『貧民児童利用策私案』(一七二九)はある経済学者の著作となっている。いずれの内容も、当時のアイルランドが置かれていた状況に対する挑戦的な風刺である。彼の用いた匿名性は、厳密な意味では、モンテーニュに見出すことはできない。
こうした本名以外の名前の使用は当局の追及から身を守るためだけでなく、偽名や匿名の作者に対して、読者はより共犯意識を感じるからである。モンテーニュはエッセーにおいて「私」を扱うことを誇らしげに記していたが、実は、この「私」は二重の意味を持っている。一つは私自身であり、もう一つは自己である。「彼は彼らの感じ方、考え方を自分の中に染み渡らせなければならない。彼らの教えを学びとるのではないのです。ただそれを自分のものにできればよいのです。真理と理性はおのおのの人間に共通なもので、それらを初めに言った人たちのものでも、後から言った人たちのものでもない。蜜蜂はあちらこちらの花からその密を吸い取り、それで自分の蜜をつくる。しかし、その時、蜜はもうすっかり蜜蜂のものになっている」(『エセー』)。「私」は「花」から「その密を吸い取り」、でき上がった「自分の蜜」である。モンテーニュはこの二重化を通じて「私」を相対化へ向かわせた、もしくは集団的匿名性へと導いたのであって、読者と作者は相対化された「私」を共通基盤とできる。部数は今日とは比較にならないけれども、作品上の「私」は、同じように印刷されていくことで、増殖する。「私」は、印刷機により、初めて量産され、記号化される。近代的自我はグーテンベルク革命の産物である。モラリストはそうした相対化の試みとして偽名や筆名といった仮面を使うのである。
スウィフトと同時代にイギリスで活躍したリチャード・スティールとジョゼフ・アディソンは、日刊のエッセー紙『タトラー』を発行して、社会のモラルやマナーの向上を訴え、その書き手として「アイザック・ビカスタッフ」という架空の人物を考案する。その後、二人の別のエッセー紙『スペクテーター』でも、「ロジャー・ド・カバリー卿の論説」と題する連載エッセーの中で、社会に対する自分たちの意見を彼に代弁させている。また、チャールズ・ラムは、昔の同僚の名を使って自分のエッセーに『エリア随筆』(前編一八二三、後編一八三三)という題名をつけている。もっともエリアという人物は存在していなかったらしい。新聞記者だったチャールズ・ディケンズは弟の幼い頃のニックネームだった「ボズ」を筆名にして『ボズのスケッチ集』(一八三六)で作家としてデビューしている。さらに、マーク・トウェーンは、驚くほどさまざまな筆名を使い、社会批評のエッセーを発表している。数多くのペンネームを使ったゼーレン・キルケゴールや仮面で語ったフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェも、その意味で、モラリストに含めることができるだろう。
エッセーでは、とりあげる題材も、範囲も、表現も、書き手も、固定していない。エッセーはそもそも散文だけとは限らない。アレクサンダー・ポープは、詩の形式で『批評論』(一七一一)や『人間論』(一七三三─三四)というエッセーを書いている。フランシス・ベーコンによる『随筆集』(一五九七─一六二五)という哲学的著作もあれば、オリバー・ゴールドスミスの『世界市民』(一七六二)のように、ジャーナリスティックなトピックについての意見を述べた書簡の形式もあるし、ヘンリー・ハズリットは『狩猟の楽しみ』(一八二三)をカジュアルな談話の文体で記している。また、ヘンリー・デヴィッド・ソローの『メーンの森』(一八六四)は抒情的であるのに対し、ラルフ・ウォルド・エマーソンのエッセーは予言風である。ブレーズ・パスカルの『パンセ』(一六七〇)はアフォリズム集であり、シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴの『月曜閑談』(一八五一─六二、続編一八六三─七〇)は批評集である。さらに、ノーマン・メーラーは、『夜の軍隊』(一九六八)において、伝記や映画ドキュメント、歴史、ジャーナリズム、フィクションなどを組み合わせたスタイルを展開し、トム・ウルフは、俗語を散りばめた特異な文体で現代アメリカ社会の一面を描き、カナダ生まれのピアニストであるグレン・グールドはメニッポス的諷刺と呼ぶべきエキセントリックな文体のエッセーを記している。エッセーはいかなるものも飲みこめる。
エッセーは、現在、世界各地に定着している。フランスでは、ポール・ヴァレリーやアラン、アンドレ・ジッドといったモンテーニュ以来の伝統的なスタイルで綴る正統派のみならず、ジャン=ポール・サルトル、アルベール・カミュ、シモーヌ・ド・ボーヴォワールにより政治的・社会的考察へと拡大される。イギリスでは、ロバート・リンドを始め、多くのエッセイストが輩出しているが、T・S・エリオットやヴァージニア・ウルフ、E・M・フォースターによる意欲的なエッセーも書かれている。ドイツ語圏ではフーゴ・フォン・ホフマンスタールによってエッセーが重要な文学ジャンルを獲得し、ヘルマン・ヘッセやトーマス・マン、エルンスト・ブロッホが長年に渡って多数の文学的・政治的なエッセーを発表し続けている。スペインのホセ・オルテガ・イ・ガゼットが著わした『大衆の反逆』(一九三〇)は二十世紀における最も刺激的な著作の一つであるが、もともとは新聞に連載されたエッセーを集めたものである。エッセーの人気が高いのは西欧だけではない。ヤン・コットの作品を通して、エッセーは現代ポーランドで最も重要なジャンルの一つである。ロシアにおいても、十九世紀以来、イヴァン・ツルゲーネフやアレクサンドル・ゲルツェン、フョードル・ドストエフスキー、レフ・トルストイなど多くの作家によってエッセーが書かれてきたが、最近では、フランスに亡命したアブラム・テルツことアンドレイ・シニャフスキーが独特のスタイルを持ったエッセーで文芸批評やアフォリズム集を発表している。アメリカにも、ヘンリー・ルイス・メンケン、ジェームズ・アーサー・ボールドウィン、エリック・ホッファー、エドワード・サイード、スーザン・ソンタグといった魅力的なエッセーの書き手も登場している。欧米以外を見渡しても、中国の魯迅やインドのラビンドラナート・タゴールを代表に、アジア並びにアフリカ、ラテン・アメリカ、オセアニアの作家たちも文学・哲学・宗教・政治を主題とするエッセーで示唆に富む考察をしている通り、数多くの優れたエッセーが記されている。
西欧のエッセーに類似する随筆文学の伝統があるせいか、日本は、世界的に、最もエッセーが受容されている。十世紀末の平安中期に清少納言が記した『枕草子』、十三世紀初頭には、鴨長明の『方丈記』、十四世紀前半の吉田兼好による『徒然草』、近世になると、書き手も内容も多様化し、随筆文学が流行している。明治に入り、ジャーナリズムの隆盛と結びついたエッセーが盛んになり、次第に、文学者がエッセーの書き手の中心になっていく。小説家だけでなく、詩人も、歌人も、俳人も、雑誌や新聞を通じて、エッセーを発表し、文芸批評に至っては、小林秀雄を筆頭に、ほとんどがエッセーの形式によって占められている。さらに、最近では、エッセーの書き手は文学者に限らず、それを書かない人を探すことが難しいほど、エッセーは最も身近なジャンルとして親しまれている。
エッセーがこれだけ世界中に受け入れられたのは、ジャーナリズムと結びつきつつ、モラルを語り、それを体現しているからだろう。エッセーは時代や社会の移り変わりに即して、変化を続けている。森毅は、『文化の中の単位』において、「文化は標準性と地域性の間を揺れながら流れる。それが歴史というものである」と言っているように、エッセーの「歴史」はまさにそうである。「標準性と地域性の間を揺れながら流れる」エッセーが自ら示すモラルはあまりに多様であるけれども、モラルを求めて、エッセーは書かれ、読まれている。
森毅は、『第三の改革』において、モラルというものについて次のように述べている。
歴史と道徳がどうかということで、ぼくも歴史や道徳にも関心がありますが、歴史というものが時代の流れを知って未来を予測するというのは、実は当たらないのですね。ですから二十一世紀はこうなるだろうなどと予測するつもりもありません。けれども少なくともブレヒト流に言うと、現代を異化するという、つまり今はこう思いこんでいるけれども、それは歴史的に言えばほんのわずかなことだというように考えるのが、たぶん歴史のよいところだと思うのです。そうすれば、変わればどういうふうに生きていればよいのかということになるのです。
 「歩き方」というのは生き方というのがモラルですからね。かっこよく生きるにはどうすればよいのかということがモラルであって、だいたいモラリストというのはいろいろ悪いことをしていますよね。モンテーニュとかロシュフーコーとか、人殺しをしたり博打をしたり大酒飲みだったりで、なぜあれがモラリストなのかというと、それがあの時代としてのかっこよい生き方で、そのかっこよい生き方をしたというのでモラリストなんでしょう。つまり、うまい生き方とはどういう生き方かということを考えるのが道徳なんだろう、とぼくは思うのです。
モラルが多様であるのは、その時代や社会における「かっこよい生き方」だからである。モラルは時代や社会を超えられず、決して、ア・プリオリではない。それは一種のファッションである。モラルを考え、実践することはファッションを考え、着こなすことと同じと見なせる。そんなモラルはジャーナリズムと不可分である。「常識」から「うまい生き方とはどういう生き方かということを考える」姿勢がモラルであって、「常識」がそうなのではない。「物事を単純にわりきって断定したがる」のはモラルに反する。「おじさん」がかっこうよくないのは、「どういう生き方かということを考える」ことをせず、「ものごとを単純化」したがるからだ。変化の中にある今の「かっこうよい生き方」は「おじいさんやおばあさん」のようなモラリストである。「いつまでもおじさんやおばさんの気分」から抜けきれないのは、最も「かっこうよい生き方」ではない。「ものごとはそう単純にわりきれるものでもないよ」と思いつつ、「みんなおじさん化した」時代の「かっこよい生き方」を探すモラリストの「歩き方」はこんな感じだろう。festina lente.
If I
can reach the stars,
Pull
one down for you,
Shine
it on my heart
So
you could see the truth:
That
this love I have inside
Is
everything it seems.
But
for now I find
It's
only in my dreams.
And I
can change the world,
I
will be the sunlight in your universe.
You
would think my love was really something good,
Baby
if I could change the world.
And
if I could be king,
Even
for a day,
I'd
take you as my queen;
I'd
have it no other way.
And
our love would rule
This
kingdom we had made.
Till
then I'd be a fool,
Wishing
for the day...
That
I can change the world,
I
would be the sunlight in your universe.
You
would think my love was really something good,
Baby
if I could change the world.
Baby
if I could change the world.
I
could change the world,
I
would be the sunlight in your universe.
You
would think my love was really something good,
Baby
if I could change the world.
Baby
if I could change the world.
Baby
if I could change the world.
(Eric “Slowhand” Clapton “Change The World”)
〈了〉